ダイビングのきっかけ

バディロープのオープン
当時、エアチャージをお願いしていた近くのダイビングショップが閉店するということを聞き、引き継ぐ形で1978年の5月にバディロープを立ち上げました。当時は道路沿いの三軒長屋のようなところの1軒を借り始めましたが、いろいろと大変でしたね。『バディロープ』という店名も、看板屋さんにせかされて思いつきのような形で決めてしまいました。(笑)
当時のダイビング業界とPADIへの加盟
オープン当初はどの指導団体にも加盟していませんでしたがCカードの必要性もあって、JUDFに加盟しました。ただ当時は教本も小冊子くらいで、また体力重視でBCも使いませんでしたし、固いパワーフィンで、まさに体育会系のノリのダイビングでした。ウェート10Kgつけて立ち泳ぎとか、25Kgつけて5メートル浮上とか、今では想像もつかないと思いますが、そんな指導でした。いやぁあれはキツかった。(笑)
2~3年くらい経った頃でしょうか。PADIから誘われ、PADIに加盟することになったのですが、まさかのオープンウォーターから取得させられ、屈辱に感じたのですが、「カリキュラムも本格的だし、合理的で納得性もある。これは正しい」と思いました。とはいえ、当時のPADIは周囲から軟弱と言われてたんですよ。
ダイビングでの最高の感動は
思い出深いのは、パラオのブルーコーナーですね。いつだったか記憶が定かでないのですが、透明度は50メートルくらいあったと思います。濃いブルーが印象的で、今でもあのブルーは忘れないですね。あとはロタの水面の光り輝くエメラルドブルーですね。もちろん沖ノ島は外せないです。ダイナミックな景観は最高です。ダンプくらいある巨岩に、大物感漂う薄暗い海底。このワクワク感はたまりません。今でも毎年のシーズンインの前夜は眠れないくらいです。もうひとつあげるとしたらマーシャルのアルノ環礁。深度30メートルでも光が届き、白砂に自分の影が映るくらいです。まるで空中に浮かぶよるな浮遊感は日常ではまったく体験したことのような経験でした。
失敗談は
失敗談といえないかもしれないのですが、15年ほど前、店に駐車していた業務用のハイエースが盗難に遭いました。さらに悪いことにスティールタンクを20本くらい積んでいて、あの時はホトホト困りました。鍵もかけていたのですが。どこかでバディロープのステッカーが貼ったハイエースが走っているかもしれません。まぁそれも宣伝になるかな?(笑)
今後の夢
そうですね。私はすでに60歳をゆうに超えてしまいましたが、日本最高齢の現役インストラクター目指したいですね。それに沖ノ島を毎年潜りたいですし。(笑)
それとショップの代表としても、バディロープをもっともっと元気にしたいし、たくさんのお客様にダイビングの素晴らしさをお伝えし、ダイビングライフをしっかりとサポートしていきたいですね。
インストラクションとガイディング

環境の変化
やはり、海が年々悪くなっているのを感じます。それと、ご存知かもしれませんがマイクロプラスチックのことが本当に気になります。簡単に言うとプラスチック容器などが海中を漂う間に細かく砕かれ小さく小さくなっていきます。それらを魚介類が食べ、それをさらに人間が食べる。どんな影響があるのか研究がはじまったばかりのようですが、この問題が改善できないと生物だけでなく自然全体に影響がでるのではと心配しています。
人となり(インタビュアー評)
それと、お客様の安全を守るというところは特に熱が入っていました。これが40年無事故を続けてきた自負でもあり、我々やお客様を守り、支えてきた責任なのでしょうね。
今林オーナーインストラクターの趣味は、壱にも弐にもアジ釣りです。もうそれは「アジ道」と言ってもいいくらい、アジ釣りにかけています。何度かご一緒させてもらいましたが、そりゃぁしぶとい。手を変え、品を変えでずっと水面とウキを見続けています。ただ、なかなか狙い通りにいかないようで悪戦苦闘のようです。もうひとつ貝殻集めがもうひとつの趣味だそうです。引っ越し前の道路沿いのショップには収集した色さまざまな貝殻を展示していましたが、レイアウトの関係で展示できていないとのことですが、男気あふれる中にもカワイイ趣味が実はあるようです。
魅力豊かな今林オーナーインストラクター。現役最高齢インスタラクターを目指してください。これからも私たちのダイビングの安全を支えてください。よろしくお願いします。